葡萄と檸檬

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「無題」

きっかけは、レコーダーがブルーレイディスクを読み込まなくなったことかもしれない。

最近私の中からオタク要素がじわじわと減ってきていて、空っぽになりかけているかもしれないことに気づいた。


小学生のときにジャニーズを好きになり、10年以上彼らを応援してきた私にとって、「ジャニーズが好き」ということは自分を構成する重大な要素であって、いわゆるアイデンティティだ。

私の中でそれが一番強かったとき、

テレビ番組は必ずリアルタイムで視聴し、録画してダビングし保存していた。しかし、レコーダーがブルーレイディスクを読み込まなくなった今、ダビングが不可能となり、それによりハードディスクの容量も常にギリギリというか週に何度か容量いっぱいになってしまうような状態である。

ダビングできなくなったこと自体よりも、ダビングできなくてもまあいいやと思ってしまう自分が悲しい。容量オーバーで録画に失敗してもまあいいやと思える自分が悲しい。昔の自分なら、泣いて悔しがったのに。

また、リアタイへの情熱も薄れた。できるだけしたいと思いつつ、そのために友達に用事があると嘘をついたり急いでお風呂に入ったり走って家に帰ったりをしなくなった。

これを変化ととらえられれば楽なのだろうけれど、どうしても自分がいなくなってしまうような感覚になってしまい苦しい。レコーダーが壊れたことがきっかけで、その感覚に気づいてしまった。

今思えば、ずっとその感覚に気づかないふりをしていたのかもしれない。いつのまにか私は、前は毎回聴いていたラジオを聴かなくなり、雑誌を買う回数が減り、内容問わず必ず買っていたCDなどの円盤も内容を確認してから買うかどうか判断するようになっていた。はてなブログでいくつか書いていたブログもすべて下書きに戻した。確実に、ジャニーズが自分のすべてだったころの私ではなくなっていた。でも、ジャニーズが抜けた心の穴のようなところに、新たな要素は入ってきていない。

もしこのままオタ卒したら、自分が空っぽになってしまう気がする。今までにオタ卒したいと思ったことは何度もあるが、本当にする気は無かった。というかできる気がしなかった。自分がジャニーズを好きであることはこれからもずっと変わらないと思っていた。でも、最近それが確実ではないと感じてしまった。自分がジャニーズを好きでなくなることが怖い。彼らを好きでない自分なんて自分じゃないと思う。ジャニーズが好きだし、ジャニーズが好きな自分が好きなのだ、たぶん。キラキラ輝く素敵なアイドルを応援しているということは、自己肯定感低めな私が唯一自信を持てる部分なのだと思う。

ここまでいろいろ書いたけれど、好きという気持ちは変わっていない。オタ活のスタンスが変わってしまった今のこの状態は、ずっと彼らを好きでいるために、無理せず好きでいられるように、無意識に自分なりのオタクのペースを模索している途中なのだと信じたい。